第17回 「なるほど川上さん」は相続のお話の6回目

ほけんのフルマークス

2022年01月26日 15:00

今まで、何が原因で相続争いが起こるかをお伝えしてきました。今回は、人間関係から起こる相続争いを無くし、円満な相続をするためにどうやったら人間関係が良好にできるか考えていきましょう!



少し難しい話になるかもしれませんが…今から700万年前、人類が2足歩行をしたことで人は助け合いが必要になりました。日本では、聖徳太子の和の思想や江戸時代の儒教教育から互いに助け合う精神がそなわりました。

戦後の民法改正と経済の成長は、家族関係を崩壊させたばかりでなく、近年では無縁社会という言葉を誕生させました。そこに、新しい家族の在り方を考える必要があります。

今まで、相続で争いになる数々のケースをご紹介してきましたが、家族関係・人間関係を良好にするために、被相続人が生前にしてほしいことは、「遺言書」を書くことにつきます。

「遺言書」を書くことで相続争いを未然に防止します。遺言書は、円満な人間関係の構築に役立ちます。



「遺言書」とは、現金を誰に!土地・建物を誰に!と財産を分けることをただ記載するのもではありません。

家訓・家風はもちろん、被相続人の親戚関係のお付き合い、近所・友人・知人関係のお付き合い、お墓な等々、次の世代に引き継ぎをしなければならないことはたくさんあります。



財産だけを分けるという考え方が、私は相続争いの火種だと考えます。



相続人をお正月に集めて、前年の貢献度で毎年遺言書を書き換えるというのもよいことかもしれません。

今まで実家に寄り付かなかった、息子・娘・孫たちまで定期的に訪問してくれるようになるかもしれません。

現金が潤沢にある方なら、その都度贈与してあげてもよいかもしれません。贈与と聞くと年間の非課税枠110万円を一括贈与することだけにとらわれがちですが、訪問するたびに1万円・3万円・5万円と小口でお小遣い渡すことも贈与です。また、家族旅行を計画して費用を全額だしてやる方法もありますよね。

多額の現金を渡すのではなく、会うたびに少しずつ渡す贈与はうれしいものです。また相続人だけではなく、その配偶者やお孫さんたちにも小口の贈与をしてあげれば貢献度が変わってくるはずです。



その際に気を付けなければならないことは、ルールのもとに平等に渡してあげることです。特に金額が違うのはその後の争いになりかねませんので、贈与のルールを決めてそれを全員に周知することが肝心です。





ここで、堺屋 太一さんの著書の紹介をします。



堺屋太一著「日本を創った12人」の聖徳太子の項目の要約

堺屋太一氏は聖徳太子について「1400年間ずっとわれわれの心を支配してきた宗教観の発案者兼実践者である」といい、今日の日本人の宗教観や文化観は聖徳太子によって決定されたと述べています。

当時の日本は、有力な豪族が互いに、勢力争いをくりかえしていました。そこで聖徳太子は、天皇中心の新しい国づくりをめざし、争いをくりかえしている豪族たちを一つにまとめようと考えました。

聖徳太子が定めた「17条憲法」の第1条に「和を持って貴(とうと)しとなし」と書かれています。聖徳太子は国を治めるに当り、人の和をもっとも大切なものとし、組織を作って仲良く話し合いをしながら事を進める大切さを唱えました。

聖徳太子の時代に帰化人は高い文化とともに仏教を一緒に持ち込んで来ました。この仏教の伝来により古来の神道との間で、激しい宗教争いが起こったのです。

深刻な問題に直面した聖徳太子は自ら仏教信者として振舞いながら、神道をも擁護し肯定することでこの難局を乗り越えたのです。

これが、習合の思想です。その習合の思想は今日に至っても日本人の心に浸み込んでいます。

クリスマスはキリスト教で、正月は神道で、彼岸は仏教といった行いは習合の思想の現われです。習合は、それぞれの思想の「ええとこどり」といえます。

日本は、古くから血縁社会、地縁社会であり、聖徳太子は、仏教を布教する過程でこうした人間集団を破壊しないで温存しました。その結果、日本人は人間集団に忠実な、いわゆるタテの社会構造を作り出しました。企業や官庁が縦社会になったのはこうした過去に経過に由来します。その点、外国の地域社会は異民族闘争が厳しいことで防衛共同体としての性格を有しています。

ここに日本と大きな違いがあります。聖徳太子の習合の思想たる「ええとこどり」の発想こそ、日本の古代から引き継がれた和の精神を重んじる人間関係を大切にした共同体の社会といえます。

堺屋太一氏は、日本人の思想形成に聖徳太子の和の精神が現代も脈々と流れていると述べています。



経済の高度成長による家族の崩壊

憲法改正によって、法律的な家族制度は解体しましたが、家族制度はその後も慣習として残りました。憲法が改正されても家族の仕組みが直ぐに大きく変わったわけではありません。長男は相変わらず親と同居し、長男の妻は同居する長男の親の介護を看るのが当然の義務と考えました。長男が全て財産を引き継ぐことに兄弟姉妹も理解を示し、そのかわり長男は兄弟姉妹が自立できるよう相続財産の一部を分け与え支援しました。

親族は集団で地域に居住して生活を共にしていました。田植えや稲刈りのころは、家族全員で農作業に従事しました。葬儀は親族の長老が仕切っていました。

こうした家族や親族の仕組みを大きく変えたのは日本経済の高度成長でした。

昭和30年代になると日本経済は高度成長により生産性の低い農業から生産性の高い都市への人口移動が起こると、互いに助け合って集団で暮らしていた家族や親族の中に都会に出て行き、都会の会社に就職する者が現れました。

会社に就職したことでその者の生活拠点は会社となります。生活の糧は会社から頂きますから、その会社の関係者との人間関係を重視せざる得なくなります。さらに、住居する自宅の隣組とか子供の学校関係者との交際も必要です。

その結果、家族や親族との関係は希薄にならざるを得ません。

かつての家族や親族に向けた相互扶助の精神は、会社に就職したことで会社の関係者や住居を構える地域社会に向かわざるを得なくなりました。

「最近両親に会いましたか」と問い掛けますと多くの方々は「今年は会った」と答えます。同様の質問を兄弟姉妹に置き換えると、子育て中の人ほど、「両親には会ったが、兄弟姉妹とは疎遠」との答えが返ってきます。

さらに、同様の質問を叔父叔母、従兄弟と掘り下げていくと、中には何十年も会っていないとの答えが返ってきます。

最近では、親族が一同に介す唯一の機会は父母の葬儀だけといった、寂しい現実が実情です。



元来、日本人は助け合い・譲り合いの精神文化があり、それはDNAにも刻まれているのではないかと私は考えます。すれ違いの多い現代、もっと会って話をすること!その機会を積極的に作ることが家族関係・人間関係を良くするために必要なのかもしれませんね。



次回は相続対策と危険性について解説していきます。

関連記事